過去問分析とChatGPT
あけましておめでとうございます。
ワクワク塾 塾長の福田歩です。
今日のブログは、昨年末最後の理科の授業について。
中3の生徒と、群馬県公立高校の理科の出題予想を再実施しました。
私たちは去年の7月に、既に
5教科の過去問の出題パターン分析および
2025年度の出題予想を終えていました。
本命の県立高校入試に向け、改めて照準を明確に定めるべく
再度2025年度の出題予想を行い、7月の予想と比較しました。
「こんな情報をブログに公開して大丈夫なの?」
まったく問題ありません。
後にChatGPT分析のところで書くように、
自分で労力を割いて、自分の頭で考えていない人には
この表から情報を引き出すことはできないからです。
ついでに、我々の予想も公開します。
2025年度 群馬県理科はズバリ、これが出ます!!
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生徒と私で意見を出し合って、2回目の出題予想が完了しました。
7月に行った1回目の予想と同じ結論でした。
ダメ押し(余興)でChatGPTに質問してみました。
“ 2025年度の群馬県公立高校入試問題の理科の出題分野について、
生物、地学、化学、物理に分けて予想しなさい。”
すると、下の写真のような回答(一部掲載)が即座に返ってきました。
ちゃんと前置きで逃げを打っているのが笑えるww
ChatGPTが即座に回答を表示していく様を見て
生徒は「おぉ〜〜! すげぇ〜〜!!」
私「これで分析が合ってたらスゴイよね。」
生徒とChatGPTの回答を確認してみると、
まぁまぁ我々の予想と矛盾していないのです。
「ChatGPT、なかなかやるじゃないか!」
(完全に上から目線)
ただし、
我々の予想が “的の中心” をピンポイントに射抜いているとするなら、
ChatGPTは “的全体” を言い当てている感じの回答でした。
生徒も同じ感想を持ちました。
例えば、地学では
生徒と私は「火山が “大問3(地学のメイン)” で出る」、
「地層は大問1(簡単な基礎問題)」、
「プレートは出ない」と明確に判定しているのに対し、
ChatGPTはこれらを同列に扱っているのです。
更に、ChaGPTの回答が予想として致命的だったのは、
必ず、去年や一昨年に “メイン” で出題された分野を回答に含めているが、
実際には 一度 “メイン” で出題された分野は少なくとも3年間は出題されない。
(過去11年間崩れていないパターン)
もちろん、生成AIには※プロンプトエンジニアリングを行って
回答の精度を上げていくプロセスが必要です。
(※プロンプトエンジニアリング:生成AIが高品質の出力を作成できるようにするために、入力を作成、洗練、最適化する作業)
ですが、生徒とも共有しましたが、
大切なことは
「自分で労力を費やして、自分の頭で考えていなければ的の中心が見えなかった。」
「ChatGPTの解答に疑問を持てず、鵜呑みにしてしまう。」
「どのようにプロンプト(命令)を加工すれば良いのかわからない。」
ということなのです!!
この意味において、我々の分析結果をマルっと公開したところで差し支えないのです。
自分で考えた人は我々に同意するだけだし、
自分で考えていない人は、我々の答えを知ったところで
我々と同じ景色を見ることはない(的の中心が見えない)からです。
これからの時代はAIを道具として使いこなす技術が
必要不可欠だと言われています。
AIに限らず、道具の性能を高度に引き出すには
その道具をたくさん使う(=たくさん経験する、たくさん行動する)必要があります。
道具をたくさん使うためには、そのことに興味を持ち熱中する必要があります。
何かに興味を持ち、自発的に行動する人は成長します。
一方、人から与えられ、やらされたことは
成長の糧にはなりません。
これは、AI登場以前も以後も変わらない事実です。
多くの塾ではプロの講師が過去問を分析し、
「ここ出るから絶対に覚えろ!」と、
生徒たちに考えさせないでおベンキョーだけさせるのですが、
それで効率よく合格できたとしても
将来生きていく上で役に立つ力はつきません。
ワクワク塾ではそんな目先だけの貧弱な教育はしません。
生徒たちには、実際に体験してもらった上で、
何を学び取って欲しいのかを明確に伝えています。
受験がおバカを作る?
極論すると
「合格しさえすれば良い」という受験をさせると “おバカな子" が育ちます。
(“お” をつけたからって失礼には変わりないのですが......すみません。)
“おバカ" がダメなら、 “生きる力が貧弱な子" と言い直しましょう。
「限られた時間の中で、できるだけ高得点を取れ」
というルールを与えると、
出題範囲しか勉強しない戦略が有利になります。
つまり教科書、参考書、問題集しか勉強しなくなります。
答えの出し方を覚えるのが効率的です。
それを商品化したのがいわゆる塾産業でしょう。
「なぜそうなるんだろう?」
「別のやり方はないのかな?」
「正解を聞くのは悔しいから、自分でとことん考えたい。」
「こうなる背景には何があるのだろう? 調べてみよう!」
「それって本当に正しいんだろうか?」
「この知識を使って何ができるんだろう? 何の役に立つんだろう?」
などと疑問を持ったり、
自分の頭で考えたり、
仮説を立てて検証したり、
図書館で関連書籍を漁ったり、
実験などして確かめようと時間を浪費していては
不利で非効率なのです。
かくして “おベンキョーはできても考えない子”
に育てる選択圧をかけてしまうのです。
一方で、受験を自分の頭で考える機会にすることだってできるのです。
それが今回の取り組みです。
私が答えを教えるのではなく、
考えるプロセスを生徒と一緒に歩くことで、
生徒に考える経験をくり返し与えます。
考え方を身につけて卒業して欲しいのです。
人生で必ず手に入れたいものができたとき、
それを自分で取りに行ける人になって欲しいです。
その最初の経験を、受験という機会を利用して提供するのがワクワク塾です。
受験で良い点を取る(=正解のある問いに答える)能力に関して、
ほとんどの人間はAIに劣っています。
ChatGPTが登場し、それを凌ぐAIが続々と現れるであろう現代において、
受験で良い点を取るということは全くの無価値と断じて良いでしょう。
受験という特殊環境以外でまったく役に立たない特殊技能を訓練して何になるのでしょうか?
勉強するなということではありません。
何のために勉強するのかが大事だと言っているのです。
少なくとも受験のためではないと!
今回、
「入試問題の分析と予想」と「ChatGPT」をテーマに生徒が経験しとことは、
「自分で苦労して分析して、自分で考えていなかったら
ChatGPTの答えの精度の悪い点や間違っている点が見つけられなかった。」
ということです。
これからの時代、生成AIを道具として使いこなすことは必須の技術だと言われています。
そのために不可欠なのが、
自分の頭で考える
疑問を持つ
AIに入力する問いを発想できる
ということなのです。
そのために不可欠だったプロセスは、
自分で泥臭い作業(分析して、考える)を経験することだったのです。
つまり、多くの塾産業が提供し、多くの親が重視している
「効率の良い受験勉強」とは真逆の発想が必要です。
【結論】を整理しましょう。
近視眼的に、目先の受験さえ突破できればそれで良いならば、
「考えるな!」「とにかく覚えろ!」式の効率重視の勉強が最適解です。
すぐに結果が現れるので、塾産業の商品としては売りやすいです。
「成功させること」が絶対的な価値観になります。
ただし、受験が終わったら一切役に立ちません。
AIの登場がそれを決定的にしました。
教科書に載っている情報はAIの方が速く正確に答えてくれるので、
受験に特化した能力は、社会に出たら無価値になってしまいました。
そして、ものすごい速度で常識が変化し続けている現代において、
「考えるな!」ということは
「変化に対応するな!」や「生きるな!」と同義です。
ものすごい速度で常識が変化し続けるこれからの世界では、誰も正解を知りません。
正解は教科書に載ってないし、先輩の過去の経験則も通用しません。
もしも自分が手に入れたいものができたなら、
自分の頭で考え、自分で試してみるしかありません。
新しいことにチャレンジしたら、だいたい失敗します。
そこでやめてはいけません。
「失敗の山を超えていくこと」が絶対的な価値観になります。
こうして養った経験と知恵は、人生の中でくり返し役に立ちます。
考えて実行することが学びの本質になります。
考えるための材料として知識は不可欠です。
教科書に載っていることは、人類がこれまでに獲得した「過去の成果」です。
大いに勉強してください。
「過去の成果」を勉強し、それを踏み台や滑走路にして、
誰も正解がわからない新しい問いに自分の答えを出していくことが、
今を生きるということです。