自分の人生を生きよう! (前編)
こんにちは。
ワクワク塾 塾長の福田歩です。
先月のことです。
「学校で皆んなと同じ教室で授業を受けようとすると気持ち悪くなってしまう」
という生徒と話をしました。
その翌週、ご両親と面談をした際、
その授業の帰りの車の中で生徒が
「この塾に来て本当に良かった」
と言っていたのだと伺いました。
このプライベートな問題をブログに書いて良いものかどうか迷っていたのですが、
ダメ元で生徒に聞いてみました。
「君と同じような悩みで苦しんでいる子や、
その子を助けたいと思っている親は
結構たくさんいると思うんだけど、
その人たちに届くようにブログに書いても良いかな?
もちろん、名前とか顔がわかる写真は載せないんだけど」
すると、
「ぜんぜん大丈夫です」と
拍子抜けするほどあっさりとOK。
対話の後のホワイトボードを写真に記録していたのですが、
その写真も掲載OKでした。
そもそも何故この生徒のことをブログに書こうと思ったかと言うと、
彼は間違いなく立ちなおる子であり、
すでに『幻想の怪物』の正体を理解し、
自分の現実を歩き始めているからです。
彼が恐怖を克服して立ち直る姿は
きっと誰かを勇気づけると思います。
ということで、
『自分の人生を生きること』について
前編・後編に分けて書こうと思います。

皆と同じように『普通』にしようとすると、何も行動できなくなって、気持ち悪くなってしまう。
授業の最後に、『ワクワク塾』の名前の由来になった
『ソース あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。』という本に
書かれている考え方を紹介しました。
やりたい事や、好きな事はある?
好きな高校を見つけたいです。
良い高校に行きたいです。
「好きな高校」を見つけたり、「良い高校に行くこと」が、君のやりたいことなんだね。
はい。
君にとって「好きな高校」とか「良い高校」ってどんな高校?
やりたいことをできるだけの時間がある高校です。
うん。その「やりたいこと」って何?
......................(考え中)......................
......................(考え中)......................
普通か、普通より良い高校に行きたいです。
それは「やりたいこと」の方ではなく、
君にとっての「良い高校」のことかな?
はい。
「普通か、普通より良い」っていうのは、
勉強の成績のこと?
そうです。
う〜〜ん。 そうか。
最初に質問したのは「やりたい事」や「好きな事」だったんだけどな......。
今、ずっと「良い高校」のことを考えていた君は
楽しそうというより、苦しそうに見えたんだけど......
もしかして、それは「やりたいこと」じゃなくて、
「やらなくてはいけないこと」、
「できないといけないこと」、
「失敗が許されないこと」みたいな
脅迫感、義務感とか、
それができない自分への罪悪感を感じてたりしてない?
そうです。
それは、この前話した「平均台のたとえ話」だよね。
それは君がイメージで作り出した、現実には存在しない怪物だよ。
『恐怖の平均台』あるいは『幻想の怪物』

平均台が体育館の床の上に設置されていれば楽しい遊び。
だがそれが深さ100m の断崖絶壁をつなぐ橋だとしたら、
たとえ幅が5mだとしても怖くて渡ることができない。
さらに1週間ほど遡り、4月初旬のこと
「4月からは(別室登校ではなく)皆んなと同じ教室で授業を受ける」
という目標を立てていた生徒。
しかし、また気持ち悪くなってしまいました。
君のことを観察していて、
皆んなと同じ教室で授業を受けようとしたときの気分って
多分、こんな感じじゃないかな? と思うんだけど......
一つたとえ話をするね。
と言いつつ、崖に掛かった平均台の絵を描く。
5mの平均台を渡るなんて簡単にできるはずなのに、
他の皆んなは当たり前に渡っている(教室で授業を受けている)のに、
自分も渡ろうとすると、奈落の底が広がっているような恐怖を感じてしまう。
「平均台に乗ろう(教室に行こう)」とするだけで動けなくなってしまう。
勇気を振り絞って平均台に上がっても、
それ以上一歩も進むことができない。
進んだら落ちるかも知れないから。
そんな気分に似ているんじゃないかな?
本当にそれです。
そうだよね。
皆んなが「普通にしていること」をしようとすると、
奈落の底なのか?
あるいは絶対に倒せそうもない巨大なモンスターなのか?
そういった恐怖が現れるんだね。
幻想の怪物が現れるのは、他人の要求を満たそうとしているから
話の時は「やりたい事や、好きな事はある?」の日に戻り
今まで4月と9月が来るたびに「皆んなと同じ教室で授業を受ける」に挑戦してきたよね。
その、何度も諦めずに向かっていく勇気は
本当にすごいと思うし、手放しで賞賛するよ。
でも、もう何度目かな?
そろそろ、そのやり方は通じないと分かったんじゃないかな?
厳密に言うと、今回は新しい工夫をしたんだよね。
自分で問題集を買ってきて、
中1〜中2の範囲の問題を解いて、
わからないところは塾で質問して、
「勉強は皆んなに遅れをとっていない」という状態を作って、
つまり「100mの崖を少しでも埋める」工夫をしてから
4月に臨んだんだよね。
でも、また、一歩も進めずに気持ち悪くなっちゃった。
人にはね、試行錯誤して、もがき苦しむ権利があると思うの。
その権利を奪っちゃいけないの。
君が諦めないで、自分で工夫して挑戦を続けていたから
口を出さずに見守っていたんだけど、
そろそろ助けても良いかな?
はい。
うん。
今の君なら受け取って、変わっていける思うんだ。
<以降、対話ではなく私の語りかけなので黒字で書きます>
君はね、自分の人生を生きていないから苦しいんだよ。
「他人の要求に応えるための人生を生きようとしている」とも言える。
「自分のやりたいこと、好きなこと」がわからないでしょ?
でも本当は「好きなこと」も「やりたいこと」もちゃんとあると思うんだ。
でも、それらは「他人様に喜んでいただくための供物に値しない」と封印している。
本当の自分を封印して、
その代わりに『誰かに認めてもらう』ことで
自分の存在を保証してもらおうとしているんじゃないかな?
『自分がやりたいこと』じゃなくて、
『誰かから褒められること』
『誰かから認めてもらえること』
『誰かに馬鹿にされないこと』
『誰かに許してもらえること』
をしようとしているから、
仮にそれができたとしても、喜ぶのは『誰か』であって、
自分はぜんぜん嬉しく無いんだ。
だって自分の好きなことが無いんだもん。
君はいつも「普通」とか「普通より良い」とか、
「みんなと同じように」を気にしているよね。
普通って何?
誰が普通かどうかを裁くの?
君は誰に認められたいの?
君は誰の目を気にしているの?
同じクラスの子かな?
担任の先生かな?
世間様かな?
少なくともご両親はそんな事を君に求めていないよね。
君に「普通か、普通以上であらねばならない」と縛っているのは誰?
じつは君自身なんじゃないの?
君は、自分が作り出した「断崖絶壁の恐怖」や「巨大なモンスター」と戦っているんだよ。
「絶対に勝てない敵」をイメージしてるんだから、そりゃ勝てないさ。
でもね、自分で作り出しているんだから、勝つ方法はある。
自分で怪物を作り出すことを止めるだけで良いんだ。
要するに、
「誰か」に認めてもらうために生きるのを止めて、
自分がやりたいこと、自分が好きなことをして
自分の人生を生きれば良いんだよ。
どうだろう?
これからはワクワクすることの話をしないかい?
ソース(source ; 源、根源)

自分の人生を生きられず、他人のための人生を生きて
それで苦しんでいる人って、実はたくさんいるんだ。
子供だけではなく、大人でもいっぱいいる。
じつは僕もそうだったんだ。
自分が子供の頃から大好きだったことを仕事にしていたはずだったんだけど、
会社の中で何度も部署異動や転勤をして、
気づいたら、全然興味が湧かない仕事を大量にしていた。
それで心と体が悲鳴をあげてたんだ。
そんな時に、会社の研修でお世話になった講師の先生に相談したら、
『ソース』って本を紹介してもらって、
本を読んでから、ソースの講座も受講して、
「会社のため」じゃなくて
「自分のため」の人生を選び直すことができたんだ。
何にワクワクするかは人それぞれ違うよね。
だから『ソース』では、「ワクワクする」って感覚は
その人の個性や才能を見つける手掛かりだと考えるんだ。
僕は『ソース 発見編』のトレーナー資格を持ってるんだけど、
高校生以上が対象だから、中学生にはできないんだけど、
きっとソースの前提になる考え方を知るだけでも、
君にとってすごく役に立つと思うんだ。
だから、4月の『脳力授業』は
ソースの考え方を紹介したいと思うんだけど、どうかな?
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というわけで、後編に続く