大きな「ありがとうございました!」
中3の生徒が夏休みのチャレンジを完遂しました!!
『後戻りしない夏』に書いたように、
彼は何かをやろうとすると
「今日はもう無理です」
とすぐに後戻りしていました。
なので、この夏休みは彼に
「後戻りしないで最後までやり遂げた!」
という成功体験をして欲しくて、
彼と話し合って2つのチャレンジを設定しました。
1. 夏休み期間中の月〜金は毎日9時〜12時まで
塾で数学に取り組むこと。
2. 一度始めたら途中でやめられない遊び
『沢登り』に挑戦すること。
2. 『沢登り』は見事クリアしました!!
(『見事やりとげた夏』)
そして、8/29(金)に、1つ目の課題も完遂して、
授業が終わった時に大きくはっきりとした声で
「ありがとうございました!」
と言ってくれました。
この「ありがとう」がとても嬉しく、
私もこの夏をやり切ったと感じました。

祝福と呪いは表裏一体なのかもしれない
今、NHKの朝ドラ『あんぱん』で
「逆転しない正義とは何か?」を追求した
やなせたかしさん、暢さん夫婦が描かれています。
何かにチャレンジしても、すぐに「今日は無理です」と
引き返していた生徒に、「最後までやり抜いた成功体験」
をさせてあげたい。
これは善意であり、本人の自信にもなり、おそらく正しい事なのでしょう。
このチャレンジの趣旨は本人にも説明し、
本人の意思で「やる」と宣言したチャレンジでした。
だからこそはっきりした声で「ありがとうございました!」
と言ってくれたのだと思います。
一方で、
「最後までやり抜くことが大切」
と
「途中でやめてはいけない」
を混同すると、
それは呪いになる可能性があります。
このよく似た二つの言葉を混同しないでほしいと、
私の実体験を、
夏休み最後の授業の後で、生徒に伝えました。
私の父は終戦の時に3歳でした。
兄弟が多く、長男だったため、弟妹を食べさせるために
中学卒業とともに働かなければならなかったそうです。
本当は進学して勉強したかったのに、できなかった自分。
なので、自分の子供には勉強のことで不自由させたくないという強い思いがありました。
その結果、兄と私は小さな頃から様々な習い事に通わされました。
(自分の意思とは無関係に)
スイミング、エレクローン教室、習字、そろばん、学習塾
私にはどれも苦痛でした。
兄は従順にこれらの習い事を続けました。
(多分、やめることを許されなかったのだと思います。)
私は、興味のないことをさせられることに耐えられない性格で、
毎週金曜日のエレクトーンのレッスンが嫌で嫌で堪りませんでした。
水曜日の夜中に汗をかいて起きて
「今日何曜日?」
と親に聞いたら
「そんなに嫌ならやめていいよ」と許されました。
学びたくても学べなかったのは父であり、
私たち兄弟には、学ぶことへの渇望はありませんでした。
そんなに学びたいのなら父が学びに行けばよかったのです。
結局、私は自分の意思と無関係に通わされた全ての習い事が苦痛で、
どれも途中でやめました。
そして小学生の高学年の頃、母から
「歩は何をやらせても最後まで続かない」
「歩は何をやらせても途中で放り出す」
と何度も言われました。
これが私にとって強烈な呪いの言葉となりました。
「途中でやめてはいけないんだ」
という絶対のルールが私に刻み込まれました。
中学生以降の私は、「決して途中でやめない子」になりました。
今だったら体罰で訴えられそうな部活や、
大学院でのアカデミックハラスメントを受けても
最後まで辞めずに耐え抜きました。
この呪縛に気づいて、自分の意思で何かを辞められたのは、
43歳で製薬会社を退職した時でした。
入社時は自分の興味と専門性に合う仕事ができてハッピーでしたが、
転勤の辞令が出るたびに全く違う仕事を任され、
気付いたら自分の興味とはまったく無関係な仕事をしていたことに、
“鬱” という体からのサインに苦しんで、ようやく気づくことができました。
父や母は子供のためを思って、完全な善意で
色々な習い事に通わせてくれたことでしょう。
そのおかげで、そこそこ高めの能力が身につき、
周りの人たちよりも忍耐強く、
集中力が長続きするようになりました。
これは親から受けた祝福の賜物でしょう。
一方で、それは「途中でやめてはいけない」という呪いにもなり得ました。
そんな体験を持つ私なので、
元気よく「ありがとうございました!」と言ってくれた生徒に、
自分の体験を話しました。
「最後までやり抜くことが大切」と「途中でやめてはいけない」
はまったくの別物だよ。
自分の人生を自分で選べる人に成長してね。